23日(木曜)

くもり。

朝は7時頃起きる。昨日お酒を飲んで

気分転換できたせいかぐっすり眠れて、すっきり起きることができた。

 

雨降りそうなので洗濯はなし。

朝は相変わらず食欲がなく憂鬱な時間。

タマゴサンドみたいな目玉焼きとレタスを食パンにのせたものを食べる。

 

同居人が働きにでかける。

ぶらぶらベッドですごし早めの昼を食べてしまう。退職に伴い、借りていたものを会社に運送する準備をする。でも上着とか使用したものなのに返す意味あるのか?使用済みを誰かに使い回す?クリーニングする?どっちも現実的じゃない気がするが、、、

 

ついにサラダが動く。

履歴書を買いにいく。これはなかなか憂鬱だ。

道中に中古本店が閉店セールですべて

70%OFFとの破格割引に誘われる。中島らものエッセイを35円で買えてしまった笑

もう最近はエッセイとか日記ものくらいしか読む気がしない。物語はなんだか面倒くさいし、ハウツーも乗れない。

 

女の子とのLINEのやり取りだけが、心のオアシスだ。そういえば今日も小鳥のさえずりとねこが発情して泣いている声がすごかった。

22日(水曜)

忘れていたが、これは退屈サラダ日記なのだ。なのに日記がなかった。理屈ばかりの内容。これからは出来事や感想も書いていく。

 

 

今日も無職だった(なんだそれ)

朝8時に起きる。水曜は冷たい空気のなか、ごみを外に持っていく必要がないから少し楽だ。

 

朝はいつも通り食欲がなく、どんよりとした気持ち。なにもすることがないので栄養補給の必要もない。でもなんとなく昨日の残りの味噌汁にお米をいれて温めた。味付けが薄すぎて不味かった。

 

はなしができる同居人も逃げるように出掛けていってしまい、いよいよやることがない。気持ちの良い天気とふわふわのベッドに入ってしまい二度寝してしまった。

起きると口呼吸の影響か、口の中がカラカラで不快だった。

先日かりたカンフー映画みて時間をつぶそうと思い観る。闘ってばかりで後半飽きてしまうが全部観る。ジャッキーチェンの筋肉美に感動。たくさんの演舞でたくさん怪我しているに違いないとネガティブパワーがでてくる。

 

 

自分の部屋で昼寝。

性欲悶々。寝ると体が重くなる。

寝過ぎはキツい。しかしやることないのでねるのだ。ゲームか求職をしよう。

 

 

夜ご飯は各自DAYだったので、

以前から行きたかった近所の居酒屋に同居人と行くことに。同居人はなぜか緊張していた。カレースパイスの効いた料理はどれもまた食べたくなる気がしたけど、割りとすぐに飽きてしまった。

 

2軒目でワインを三杯くらい飲んで

酔ったせいか悪態をついてしまう。

酔うと気が大きくなるから気を付けなきゃあかん。

現在の悩み

こんにちは。無職有給ライフをすこしずつ楽しめるようになりました。

さて本日は今の悩みをいくつか書きたいと思います。

 

と、そのまえにphaさんについて書きます。

京都大学を卒業されて就職したけど、普通の人生歩むのがだるくて辞めて

インターネットで文章を書いたり本を出したりしながらフラフラ生きている人です。

詳細はこちら↓

プロフィール / pha22.net

 

この人の言葉にとても共感するんですよねー。

そもそも朝同じ時間に出勤して、大人数の組織や人間関係が面倒臭いとか、

結婚したくないわけでないけれど、結婚式とかや親戚付き合い面倒っていう人はかなりいると思う。その度合いが高すぎる感じが、私もphaさんもあるのだとおもう。

 

なんとなくあわせればいいじゃん、ができない。

というかあまりに苦痛で、この苦痛と引き換えに得るものが

割に合わないと感じすぎてしまうひと。

また、phaさんは既存の社会的な当たり前を疑って、その感覚を具体的に言葉にするのが上手だからいい。

ご本人も言っているが既存の幸せを否定するつもりは無く、

ただその幸せに適応できなかったときに「自分の努力不足」とか「自分がダメなのか?」といった発想になる必要はないのではないか、というスタンスもいい。

 

 

沢山の人が暮らしている社会で、一部の人が幸せで、その他の人がその

幸せになれなかったと嘆き続けているなんておかしい。みんなそれぞれ好みや

性質が違うのだから、それぞれの幸せがあればいいし、そもそも「幸せ」なんて

単なる言葉の存在。私自身も正社員を辞めただけで、「自分はなんてダメなんだ」と

既存の普通像と比較して落ち込みすぎていたと思う。

働き方と自分自身の価値を直接結びつけるのは変だ。働くのはあくまで自分がよりよく

生活する為の手段だから。

 

 

 

人と違うのは当たり前で、そのなかである程度お金を稼ぐにはどのような選択をするのか。お金なんていらなくて慎ましく暮らしたいならそれでもいい。

手段とは目的からの逆算になるわけだから、そもそも目的を理解する必要がある。

目的とはよりより生きるであり、よりよいと感じる私自身の価値観を確認する必要がある。

 

 価値観について、介護や会計、そして営業と転々としてわかったことがある。 

まず、大人数の付き合いが極度に面倒であるということ。

介護を志した理由もこれにつきる。営業をして本当に実感できた。

理由は養育環境にあるが、人に対する好き嫌いの感情のコントロールも苦手だし、

5人とか6人以上の場になると途端に不安が襲ってくる。人の目を異常に気にしてしますのである。もともと人に対する興味が強すぎるのであるように思う。

だからその人の思っている事や考えている事を敏感に感じ取りすぎてつかれる。

 

 

 

また、

好奇心おう盛だが、飽きっぽい。すぐあれいいな、これいいな、と思うのだが

長続きしない。熱しやすく冷めやすいのである。

 

 

さらにすきなこととしたら、

・体を動かすこと

・絵とか音楽とか本とか映画とかをサッと体験できる事

・女の子とはなすこと(ナンパ的なドキドキ感があること)

がある。

 

 

そしてこの最後の女のことはなすことと、

大勢が苦手がいままさに最大の悩みである。

女の子とたくさんはなすとなると、比較的社会的に通用する肩書きがあったほうが広がりやすいからだ。(正社員とかのほうが仕事を聞かれたときに向こうも安心するかなーっていう勝手な想像だが)

 

私自身フリーターでもいいのだが、そこがすこし

ひっかかるところ。あとフリーターだと社会保険料の支払いがないからそれも

金額的に非効率かなと思ってしまう。。。。

 

 

かといって、サッと正社員になれる仕事は介護とか飲食とか

労働時間が長く過酷なものばかり、、、。

どうしたものか。

 

 

理想ではフリーターのように比較的労働時間が短く済み、

なおかつ女の子と話すときに不安にさせない程度、若しくは

フリーターでもいいわよっていう女の子と知り合って、

二人でちょこちょこ働きながらこどもはつくらず、ひっそりと暮らしたい。

 

 

もちろん女の子ががんばってほしい、っていってきたら

正社員としてがんばるモチベーションもあがるので是非そういう

女の子と一緒になりたい。

自分のためだけだと、そんなにがんばれなーーーい。

 

なので現状では正社員への移行実績のあるアルバイトからがんばろうかなという

かんじです。

 

おわり

 

崩壊家族15年ぶりに家に帰る(その2)

といことで、15年ぶりに実家に戻り

そのままホテルで一人、4泊しました。

まさかこんなことになるなんて。

 

家族と自分と向きあえたかわからないですがわかったことがいくつかありました。

 

 

 

特定の人に依存していること。

 

いきること、無理せず生活できる方法を考えなさすぎたこと。

 

 

がかなりでかかった。

 

 

でも生きるうえで、

会話しないとつらいし、結婚のことも考えると仕事選びもさらに迷うね。

でもでも、まず自分が生きられないと始まらないかー

 

 

まとめ。

A依存しているひとがいる

B生きることがベース

C会話や格好つけることもしたい

 

 

普通ですね。

不安の呪文が流れてくる

さあきたぞ。

あの祭りがやってくる。

女人禁制で裸の男達がぞろぞろ町中をさ迷う。大きなでんでん太鼓を手にもって

(はーたらけ。そら、はーたらけ。)

と唱える。

道中老人等によるお布施によって男達の喉の乾きと空腹を満たされる。

 

苦しい鎌を振りかざし、子供たちは

雨乞いをはじめる。

取り残された女達はホールで花札やお酒を酌み交わす。はだけた浴衣をそのままに股を広げて悪口を言い合う。殴り合いもする。相撲もとる。

 

 

夜と朝が逆転している。

とにかくこんな祭りは早く終わって欲しい。

欲しいもの

ホテル生活一日目。

すこし体調不良気味。

 

体を動かしたいが外に出たくない気持ちがつよく寝てみるがなかなか眠れない。

とにかく絶望してしまう。

頭のなかで妙な呪文が流れてしまう。

からだがうごかなくなる。視界がせまくなる。

 

ほどよいストレスを欲している。

筋トレをする。

 

ちょうどテレビでよそ見運転で命を奪ってしまった加害者のインタビューがながれていた。(何を言っても相手の命が失われたことにかわりない。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。)

 

 

共感しているじぶんがいた。

 

 

 

わたしがなぜ罪悪感をもっているのか具体的なきっかけは知っている。

でもそれは表層。出来事は引きがねにすぎない。染み付いている罪悪感がとれない限り、妙な呪文はなくならないだろう。

 

 

罪悪感をなくせばいい、という簡単な問題ではない。彼(罪悪感)のおかげでわたしは、わたしたらしめいてるところもある。

感謝と嫌悪している。

 

 

書き出したときはこんなこと書こうとは思っていなかった。

わたしは会話を欲しているということをメモしたかった。

本を読むのも会話に近い。

こうして文を書くのも会話に近い。

 

坂口恭平さんも書き続けている間は死なない、といっている。

つかれているときにできることだし、これは確かに凄いことだと思う。

 

 

 

(分かる)とは(見え方)が増えるということ

暇すぎるので更新します。

しかしどうして、自虐っておもしろいのかね~。共感しやすくて辛いことだから嫉妬されないし、緊張感もほどよくあるから??

 

 

わかる、わからないって何だろうって

ぼんやり考えることがありました。

それは試験の問題の答えではなくて、

例えば仕事でいつも朗らかに笑って相手が欲しい情報をいつも提供するにはどうしたらいいのか、っていう振る舞いの問題とかのはなし。

 

人柄とか、才能とかっていう答えはなしね。

 

 

結局わからないんだけど、

ひとつには(新しい視点)だと思うのよね。

朗らかにしても、それを支える経験なり考え方が芽生えた出来事が本人にあったと思うのよね。だからその人は朗らかなわけて。

 

 

生まれつきじゃない?っていう答えもなしね。

 

 

 

 

真逆だけど、わからないまま

ただ行為だけを真似するっていうのもいいのかもね。でもぜったいボロが出そう。

わざとやってるよーっていうのは伝わるからね。

 

 

 

 

 

 

結論はない。