無職と羊

朝目覚めると雨上がりなのか、見知らぬ羊が庭を駆け回っている。埃っぽい毛のまわりに透明の光が反射して明るい。これはいいことがあるかもしれない。

 

コーンフレークに牛乳をかけようと冷蔵庫を開ける。庭を見ると羊がこっちを見て動かない。まずい。餌を要求しているのか。牛乳はもうない。お金がないから公園にいってとりあえず草をもってくるか。ちょうどやることもないし、いい暇潰しになるな。

 

ちかくの公園にいってみると同じように草をとっている人が何人もいた。まずいぞ。ほとんど草が残ってない。まさか皆のところでも羊が来たのか?みんなも仕事をせず、ここにこうして草をとりにきているのか。話しかけて草を分けてもらおうかと思ったが、やっぱりやめて帰ることにした。

 

 

 

1つのことであたまが一杯になる男

「では前の会社を辞めた理由を教えて下さい。」

「はい。私は1つのことで頭が一杯になってしまうため、辞めようと思ったらそれで頭が一杯になってしまったためです。」

 

「どうして辞めようと思ったのですか。」

「辞めようと思った理由は些細なことで、それは直接的な理由ではありません。

仕事がうまくいかなかったり、嫌なひとが上司だったり、きりがないものです。

そうではなくて、1つのことで頭が一杯になると、それを減らす方法や違うことに目を向ける方法がわからないため、辞めることを遂行しないと何もできなくなるため、辞めてしまうのです。」

 

 

「なるほど。わかりました。

では頭が一杯になっても、それを軽減する方法や気を紛らすことができたらあなたは辞めないということですね。」

「その通りです。」

 

 

不足と満足を考える

欲望には種類と限りがある。

それぞれの欲望は関連しあっていてなにかが増えるとなにがが減るという関係になっている。つまりすべての欲望が100%満たされることはあり得ない。

 

不満は次なる満足へのガソリンとなる。

 

だからすべてを満たそうとするのは欲望との誤った関係である。

 

 

私の場合として欲望の種類と、それぞれの満足度★3つで洗い出す。

 

(生理的欲求)

性欲★★

食欲★★★

睡眠欲★★★

排泄、肌、目や腰など不調がない健康欲★★★

運動欲★

美味欲★★★

 

(社会的欲求)

愛されたい欲★

※出世名声欲★

〇お金欲しい欲★★

〇物欲★★

コミュニケーション欲★

文化愛でたい欲★★★

タナトス刺激欲★

ワクワク好奇心欲★

※だらけ欲★★★

 

 

生理的なものは比較的それぞれ補完的というか助長的な関係であるのに対し、

社会的なものは相反する関係があるように感じる。

だらけ欲が満たしているときは、出世名声欲は満たされない、等。

 

 

 

こうやって書いているとかなり私の満足度は高いことがわかった。

でも日々の悶々はなにかと考えると過去と未来にいきつく。

 

 

過去の嫌な経験やうまくいかなかったことのフラッシュバック。そこから未来へのネガティブなイメージ。

そう、頭のなかのことなのだ。

 

 

いまのことにもうすこし集中して。

 

 

既読スルーを投げ飛ばす

既読スルーってあるじゃないですか。

なんなんですかあの言葉。

ぼくもLINEで既読スルーされた!と怒ってましたがちょっとまて。

 

どうしてそもそも読んだらすぐに返さないといけないんだ?

手紙だってメールだって、読んだら

内容にもよるがべつにすぐに返すのが義務ではない。

 

まして個人的なやりとりで、読んだらすぐ返さないなんて!と怒るのはわがまますぎる。

 

 

じゃあどうして既読スルーなんて言葉があるのか?どうしてわたしはそんなことで怒ってしまったのか?

 

よくわからない。

わがままな学生が作ったわけでもないと思うので(ここまで広められないのでは?)、マスコミの誰かが作ったのか?

 

単に思考停止になっていた。

そしてこの言葉には明らかに価値観の押し付けもあった。

 

既読スルー=既読したらすぐ返信しないといけない

 

 

言葉ってだから面白いともいえる。

言葉の意味には、それを支える前提意識がある。無職という響きにも働くのが良いことという価値観がくっついている(と感じる)。

 

 

なんでもそうだ。

犯罪=法律を破ってはいけない=法律守ろう=社会は正しい=政府に従うことも大切などなど。

 

 

とりとめがなくなった。

おわり。

 

 

 

 

 

 

腰が重いおはなし

私は腰が重い。

 

あれこれ考えるからだ。

1つの点から何本もの線をひく。

枝分かれした線は細胞のように広がり、虚像が出来上がる。

 

中島らものエッセイで(見すぎる人)の話を聞いたことがある。その人は一点を見すぎるあまり立てなくなることがあるという奇妙な話。

見すぎるとはズームしすぎるという意味らしく、タトエバ人の顔でも皮膚を見すぎてしまうとそこはクレーターだらけの面に過ぎなくなる。顔という認識がこわれ、凹凸が無限に続く空間となり足元がすくむ。

 

 

なるほどこの感覚に近い。

頭のなかで出来事をズームし過ぎるあまり、俯瞰してみえる実態がなくなり、途端に怖くなる。

 

 

SMAPの中居くんもこんなことを言っていた。「僕たちのことをあんまりじーっと見ないで下さい。ぼやーっとなんとなく見てください。なんとなくSMAPがあるだけなんでよ。よくよく観察しちゃうとばれちゃうので。」

 

 

 

物事を把握するには距離が必要だ。

なんとなくぼやーっとみたほうがいい。

 

食べ過ぎは止めた方がいい

気持ちいいことをすると、その後で飢餓感がくるから虚しい。気持ちいいことをしなくても落ち着いて過ごせる平穏な状態の方が良い気がしてきた。

 

食べることも同じ。

美味しいって気持ちよさを求めて、ばくばくするとあとでお腹が苦しくなる。頭がボーッとして眠くなる。寝たら寝たでなんだか怠くなる。ほらー。なんかマイナスじゃない?

食べ過ぎは止めた方がいい。

 

 

アルコールも、睡眠も、ゲームも

なるべく気持ちいいことから距離を置いた方がいい。

 

例外もある。

体を動かすこと。自然に触れること。

これらは気持ちいいけど、その後も心は平穏のままだ。もっと欲しいよーと焦ったり、虚しくもならない。

 

だから散歩は最高だ。

そういえば父親は毎日三時間くらい散歩していると言ってたな。参っちゃうな。

24日(金曜)

やや曇り。

プレミアムフライデーで、15時に仕事終わりにしろというイベント開始みたい。

 

朝7時頃起きる。ゴミだし洗濯。

用意した食パンにマヨネーズとソースかけた。旨くはない。

朝からローテンションでいけた。

ふりかえるといままでハイテンション過ぎた。焦りから来る衝動だったのかもしれない。

 

 

筋トレ。

 

返却物を郵送。

宛名の時が汚かったな。まあいいけど。

職探しのために情報整理と記入をちょこっとした。

 

YouTubeでだらだら。同居人と昼御飯。

春木屋のラーメン美味しいがアブラがすごい。

 

昼寝15分程度。

同居人とおしゃべり。

10分間瞑想。色欲と仕事での至らない記憶らへんが沸き上がって流した。

 

アニメを欲していたので調べていたら

カーレッジ君という海外の犬のアニメが面白そうでみた。支離滅裂でめちゃくちゃで最高だった。無心になれるものを見つけたかもしれない。

 

オザケンのテレビでのライブを見て小躍りする。夜に友達と鍋をつつく。

ほんとうに有り難い。感謝の気持ちで一杯だ。元気がでる。言葉を交わせる時間がぼくを生かしている。ありがとう。

 

女の子とのLINEも最高に楽しい。

こりゃあどうなることやら。

明日もローギアでいこう。

3つくらい適当に応募してみるか。

履歴書書くか。