いつもどおりのフアン
友達とあそぶのが楽しい。
気ままに話せるのがいい。考えるわけでもなく、この人の喜びをともに分かりあえる。
分かりあえるから、言葉も感覚も共振する。
比べてしまう。わたしのことと貴方のことを。仕事には慣れましたか?
これからの変化に不安がつのる。
角に突かれたい。どついたるねん。
キッスの夢に出てきてちょうだい。
こういう世界を大きくしたいよね。
週末起業じゃなくて、
週末画奏?わからん。ガムラン。
韻を踏むのはまかせろ。
他人との境界線
自分と他人は違う、という当たり前のことを忘れるときがある。それは他人と一体感を持っているということではなく、自分自身を見失う感覚に近い。
たぶん一体感を持つには自分の存在にも気づいていないといけない気がする。
より具体的に言うなら、自分の生活に他人は大きく影響を受けるが、でもやっぱり自分の生活だから他人に左右されたり、依存するものではない、ということ。
最近特に感じることだけど、自分の気持ちのほうが他人の気持ちよりわからない時もあるし、自分への影響も強い気がする。
自分が他人の目(と思い込んでいるイメージ)を気にして、ダメだとか、いいねとか365日24時間更新している。
内なる自分もある意味で他人だから、
ゆっくり話していきたい。
待つ、真空時間
わたしはいま待っています。
企業への就職の合否の結果を待っています。
連絡される日は特に指定がなく、大型連休に入るため来週になる恐れもある。
私はその連絡待ちをしているところにいきたいと思っています。休日やお給料という現実的な条件も良く、働く人の雰囲気も穏やかだったからです。
さて私はこの待っている時間に何をすれば良いのでしょうか。引き続き新しい企業に応募すべきだと感じます。しかし、いま待っている企業程の良い条件がないのです。
それに他に内定も1つ出ているので、新しく探す緊急性はさほどないのです。
就職活動は雲をつかむような、それでいて生活に直結するシビアなものなのであまりやりたくはない。できれば御免被りたい。
この待つ時間。目の前のコーヒーの表面がキラキラと赤電球の光を受けている。
逃げだしたい。
私はそこで働くことができるのか、できないのかはやく知りたい。
なんとか手かがりだけでも増やしたい。
曖昧な今に、意味をつけて欲しい。
そうでなければ、ベッドに逃げて
時間を殺してしまいたい。