崩壊家族15年ぶりに家に帰る(そのゼロ)
明日15年ぶりに実家に帰る。
なぜ15年も実家に戻っていないのか。
私は中2の秋から、祖父母の家で過ごしている。理由は複雑で、私自身学校を休みがちで、兄がすでに不登校で祖父母のところにいっていたので私も祖父母のところへ行こうとおもったのだ。
私は所謂、機能不全家族で育った。
機能不全家族とは要するに過剰に子どもっぽい親がつくる家族みたいなものだ。
例えば、パチンコ中毒とか虐待、性行為を子供に見せてしまう親みたいな家庭である。
(やや極端な例であるが)
私の場合、両親共にこどもっぽい。
特にギャンブルやお酒もやらないが、はっきりいって親としては無責任なところが多いと感じている。
いちばん足りていないのは、家族同士のコミュニケーションとそれを支える愛情という名の感情だと感じている。
私は親から愛されていると感じたことがない。なぜなら、家にいたときの言葉のやり取りや私が15年間祖父母の家にいたときに対する行動が、あまりにも他人事のようだからだ。実際私自身、しつけのようなものを受けた記憶がない。怒られた記憶もない。
人が人に対してどう思うのかは流動的で、その都度の言動の蓄積で決まるように、私と親への関係も同じである。
こんな文章を書くとこんな批判が来る気がする。(いつまでも昔にこだわるな、前を向け)や、(過去というのは今のあなたが意味付けられる)という前向きな思考・自由な選択がある思考。
わたしもこの2つの考えを全否定するつもりはまったくないが、前に進むためにいままでのことを振り替える必要があること、そして
自由な選択があることというのは決して無制限ではなく、むしろそうした制限こそ自らの自由を享受するために認めた方がいいと考えるからだ。過去をどう意味付けるのかも全く自由に決められるというわけではないとおもう。
前置きが長くなった。いまの気持ちをつらつら書いていく。
親が嫌で出ていったのにのこのこと戻るのが残念で悔しくて情けないという思いと、自分の弱さやだらしなさを自覚し認めようという葛藤する気持ちだ。
上記の通り両親は無責任だとは思うが、私自身もいいかげん一人の人間として責任をもつべき年齢かなと考えてしまうことがある。
世間や他人にとっては私の行動の原因は関係がなく、結果で判断されるからだ。
また、兄との関係にもイライラしている自分がいる。これは人間関係すべてにいえる気がするが距離感が近くなると、図々しくなりがちだ。あの人はこう振る舞うはずなのに、どうして思うように振る舞ってくれないの!という具合に。これじゃあもうイライラはとまらなくなる。
15年ぶりにもどる前日、こんなありきたりな葛藤と人間関係にあえぎながら眠れないだろう。