現在の悩み
こんにちは。無職有給ライフをすこしずつ楽しめるようになりました。
さて本日は今の悩みをいくつか書きたいと思います。
と、そのまえにphaさんについて書きます。
京都大学を卒業されて就職したけど、普通の人生歩むのがだるくて辞めて
インターネットで文章を書いたり本を出したりしながらフラフラ生きている人です。
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この人の言葉にとても共感するんですよねー。
そもそも朝同じ時間に出勤して、大人数の組織や人間関係が面倒臭いとか、
結婚したくないわけでないけれど、結婚式とかや親戚付き合い面倒っていう人はかなりいると思う。その度合いが高すぎる感じが、私もphaさんもあるのだとおもう。
なんとなくあわせればいいじゃん、ができない。
というかあまりに苦痛で、この苦痛と引き換えに得るものが
割に合わないと感じすぎてしまうひと。
また、phaさんは既存の社会的な当たり前を疑って、その感覚を具体的に言葉にするのが上手だからいい。
ご本人も言っているが既存の幸せを否定するつもりは無く、
ただその幸せに適応できなかったときに「自分の努力不足」とか「自分がダメなのか?」といった発想になる必要はないのではないか、というスタンスもいい。
沢山の人が暮らしている社会で、一部の人が幸せで、その他の人がその
幸せになれなかったと嘆き続けているなんておかしい。みんなそれぞれ好みや
性質が違うのだから、それぞれの幸せがあればいいし、そもそも「幸せ」なんて
単なる言葉の存在。私自身も正社員を辞めただけで、「自分はなんてダメなんだ」と
既存の普通像と比較して落ち込みすぎていたと思う。
働き方と自分自身の価値を直接結びつけるのは変だ。働くのはあくまで自分がよりよく
生活する為の手段だから。
人と違うのは当たり前で、そのなかである程度お金を稼ぐにはどのような選択をするのか。お金なんていらなくて慎ましく暮らしたいならそれでもいい。
手段とは目的からの逆算になるわけだから、そもそも目的を理解する必要がある。
目的とはよりより生きるであり、よりよいと感じる私自身の価値観を確認する必要がある。
価値観について、介護や会計、そして営業と転々としてわかったことがある。
まず、大人数の付き合いが極度に面倒であるということ。
介護を志した理由もこれにつきる。営業をして本当に実感できた。
理由は養育環境にあるが、人に対する好き嫌いの感情のコントロールも苦手だし、
5人とか6人以上の場になると途端に不安が襲ってくる。人の目を異常に気にしてしますのである。もともと人に対する興味が強すぎるのであるように思う。
だからその人の思っている事や考えている事を敏感に感じ取りすぎてつかれる。
また、
好奇心おう盛だが、飽きっぽい。すぐあれいいな、これいいな、と思うのだが
長続きしない。熱しやすく冷めやすいのである。
さらにすきなこととしたら、
・体を動かすこと
・絵とか音楽とか本とか映画とかをサッと体験できる事
・女の子とはなすこと(ナンパ的なドキドキ感があること)
がある。
そしてこの最後の女のことはなすことと、
大勢が苦手がいままさに最大の悩みである。
女の子とたくさんはなすとなると、比較的社会的に通用する肩書きがあったほうが広がりやすいからだ。(正社員とかのほうが仕事を聞かれたときに向こうも安心するかなーっていう勝手な想像だが)
私自身フリーターでもいいのだが、そこがすこし
ひっかかるところ。あとフリーターだと社会保険料の支払いがないからそれも
金額的に非効率かなと思ってしまう。。。。
かといって、サッと正社員になれる仕事は介護とか飲食とか
労働時間が長く過酷なものばかり、、、。
どうしたものか。
理想ではフリーターのように比較的労働時間が短く済み、
なおかつ女の子と話すときに不安にさせない程度、若しくは
フリーターでもいいわよっていう女の子と知り合って、
二人でちょこちょこ働きながらこどもはつくらず、ひっそりと暮らしたい。
もちろん女の子ががんばってほしい、っていってきたら
正社員としてがんばるモチベーションもあがるので是非そういう
女の子と一緒になりたい。
自分のためだけだと、そんなにがんばれなーーーい。
なので現状では正社員への移行実績のあるアルバイトからがんばろうかなという
かんじです。
おわり