短歌を担ぐ

内定が決まり幾つかの選考を乗り越えると社会人が始まる。一人で食べて寝ているだけでは社会人とはいえない(そりゃそうだ)。

 

ゲームや動画だけでは時間がありすぎる。

英語の勉強も2,3時間。

 

穂村弘さんの本はおもしろい。

短歌がおもしろい。

短歌って言葉の流派みたいなものか。

 

言葉のもつ質感に注目して使う作法。

言葉を投げたり引っ張ったり、くっ付けて爆発する様子を見て笑ったり驚いたり。

小さく使って泣いたり。

 

 

人間は脳味噌が大きくて超ハイテクコンピューターなので使いたくなる。

短歌をよむことはすぐにできる。

筋肉トレーニングと同じ、どこでも出来てほとんどタダ。

 

 

谷川俊太郎さん俵万智さんとか斉藤斎藤?さん?くらいしか知らないけど読んでみようかな。

谷川さんのものは読んだことがあるが、自伝を読んで興ざめして以来読まなくなってしまった。遠くの宇宙を連想させるものから異性関係という、すこしむずむずするものまで。

 

 

現代というキーワードが入ってしまった、

何の目的もなくいい加減で格好つけた雰囲気のものがすき。

壁を作るな、質問をしろ

対話をすると理解が深まる。

そのためには相手や自分自身が話しやすい環境を作らないと、考えや意見は出てこない。

 

話しやすい環境をつくるには、こちらがまず(おーぷん)になる必要がある。

おーぷんにするには、色々なことをまず受け入れなければならない。

 

(そーなんだ。)

とまず受け入れること。

そーなんだ教があるらしい(ないよ)

 

人は受け入れられて、興味を持たれると心を開いて意見を言いやすくなる。反対に拒絶されて、無関心のレッテルを貼られたら誰も何も言いたくなくなる。

それは自分も他人も同じ。

 

 

苦手意識、恐怖心を感じたらまず

(そーなんだ。)受け入れる。

しんどい気持ちや印象の存在をまず認める。

それから興味をもって聞いてみる。すると曖昧なものから少し具体的なことがわかり、理解が深まる。

理解した上で、私にとっては〇〇だから××という考えが整理される。

 

 

 

 

私自身、より深い理解を妨げる言葉を無意識に使っていた。

例えば(体育会系のノリが苦手)と常々言っていた。しかし具体的体育会系のノリの何が苦手なのか考えていなかった。

 

例えば、盛り上がらないといけないという雰囲気が嫌なのだ。たとえ盛り上がらないとしても、落ち着いて言葉を交わす時間があってもいいのではないか、と。

 

 

たしかに、そうかんがえると

排他的なことが嫌だということに気がつく。

盛り上がること自体は嫌ではないが、無理矢理そうしようとしていて、そのような雰囲気作りをしないと排除する傾向が嫌なのだ。

 

 

 

 

 

 

このように質問を重ねることは、深い理解に繋がる。質問の大切さがこの文書で言いたかったことなのかもしれない。

 

ゆうこりんとロシアで中国人

人を矢印に例えてみよう。

あなたの思考や視線はどこを向いているのか。

 

矢印が自分を向こうとするとキツい。

曲がる角度が急すぎて折れてしまうかもしれない。矢印は、矢印でどこかにむかうようにできている。

 

 

アプオリ。もともとあるもの、という意味。

そこになにかがあったのだ。

なにかをつくることもできる。

あなたもなぜか、生まれたのだ。

 

 

 

 

ゆうこりんが離婚して、かっこいいことを言っていた。(先を考えると不安になるから考えないようにしている。いましか考えないし、いつも「なんとなかなる!」と言い聞かせている。)

泣けた。

これは泣けた。

ゆうこりんは子どもふたりを育てている。

 

きっとゆうこりんは今後売れるよ!

 

 

 

 

あともうひとつ。

ロシアではソ連崩壊にともない人口流出などもあり、中国人労働者が増えているとのこと。野菜を売っている人のインタビューでは、(中国で売るより10倍くらいロシアの方が稼げる)とのこと。

 

そうなんだ。

労働はお金を稼ぐ手段なんだ。

 

 

 

ばらばらエッセイ。

 

 

最近ライフプランをつくった。

すると私の婚約者はいま27歳くらいのひとじゃないと子供を産めるのが8年以内!

わたしはもうそのときはあれだよ!

怖いねー

こんにちは

音楽を重ねてアルバム作ろうかな。

アルバムっていうと音楽と写真があるよね。

どちらと複数の作品をひとつの本のようにしている。音楽も1枚1枚景色があるからそう名付けられたんだねきっと。

 

音楽をきくと確かに色々な風景が浮かぶ。雨の中歩いている商店街とか、海辺でサングラスしているアロハシャツ姿のおじさんとか。

 

何不自由のない生活。

お金も友達も家族もいる。

働きたくはないけど、誰かの役に立ちたい。なにかすこしでも改善できたら。単に新しい人や物事に触れたい。

仕事選びとは繋がり方の選択

人はだれかとつながりたいとどこかで欲してしまう。

なにもしないことほど辛い事はない。

たしかにつながることは大変だし、いじめや心労ということもあるのでつながらない方がましだと思う事もある。

でも結局つながろうとしてしまう。

 

仕事を辞めて毎度同じ様に考えてしまうのも似ている。

仕事は大変だ。でも仕事がないのも大変だ。

結局比較の問題かもしれない。

 

つながり方もひとそれぞれだ。

能力、容姿、いろいろな資源を駆使してつながることができる。

人はその資源をどのように活用するのか考える事ができる。

どのようにつながるのか選択して、強めようとできる部分がある。

 

仕事選び、ということをしながら、

自分はどの部分でつながろうとしているのか、選ぶ事である気がしてきた。

死にたい

久しぶりに死にたいと絶望している。

なにもかもが揖屋に成っている。

嫌になっている。

消えたい。頭のなかで不安が絶えず襲ってくる。なにもしたくない。生きている限りなにもしないことはできない。無にはなれない。

行きたくないところでも不採用となると落ち込んでしまう。やることがない。なにもやりたくない。考えたくない。どうすればいい?

 

みんなのためには生きられない。

こころが楽になりたい。

罵詈雑言を放ちたい。明日が来ないで欲しい。希望が見えない。面接をしたくない。仕事はしたい。なにもしたくない。

人のはなしを聞きたくない。

心がなくなって欲しい。感情もなくなって欲しい。自信がない。自信が底をついた。

政治がなくなってほしい。俺はなにもしたくない。なにもいいたくない。なにもみたくない。はなしたくないし聞きたくもない。

できることならセックスをしまくってそのまま死んでしまいたい。寂しい。孤独。話すことができないから伝えられない。気持ちが身体に貯まりすぎている。抜きたい。

あとはもう繰り返しだからなくなってほしい。