壁を作るな、質問をしろ
対話をすると理解が深まる。
そのためには相手や自分自身が話しやすい環境を作らないと、考えや意見は出てこない。
話しやすい環境をつくるには、こちらがまず(おーぷん)になる必要がある。
おーぷんにするには、色々なことをまず受け入れなければならない。
(そーなんだ。)
とまず受け入れること。
そーなんだ教があるらしい(ないよ)
人は受け入れられて、興味を持たれると心を開いて意見を言いやすくなる。反対に拒絶されて、無関心のレッテルを貼られたら誰も何も言いたくなくなる。
それは自分も他人も同じ。
苦手意識、恐怖心を感じたらまず
(そーなんだ。)受け入れる。
しんどい気持ちや印象の存在をまず認める。
それから興味をもって聞いてみる。すると曖昧なものから少し具体的なことがわかり、理解が深まる。
理解した上で、私にとっては〇〇だから××という考えが整理される。
私自身、より深い理解を妨げる言葉を無意識に使っていた。
例えば(体育会系のノリが苦手)と常々言っていた。しかし具体的体育会系のノリの何が苦手なのか考えていなかった。
例えば、盛り上がらないといけないという雰囲気が嫌なのだ。たとえ盛り上がらないとしても、落ち着いて言葉を交わす時間があってもいいのではないか、と。
たしかに、そうかんがえると
排他的なことが嫌だということに気がつく。
盛り上がること自体は嫌ではないが、無理矢理そうしようとしていて、そのような雰囲気作りをしないと排除する傾向が嫌なのだ。
このように質問を重ねることは、深い理解に繋がる。質問の大切さがこの文書で言いたかったことなのかもしれない。
ゆうこりんとロシアで中国人
人を矢印に例えてみよう。
あなたの思考や視線はどこを向いているのか。
矢印が自分を向こうとするとキツい。
曲がる角度が急すぎて折れてしまうかもしれない。矢印は、矢印でどこかにむかうようにできている。
アプオリ。もともとあるもの、という意味。
そこになにかがあったのだ。
なにかをつくることもできる。
あなたもなぜか、生まれたのだ。
ゆうこりんが離婚して、かっこいいことを言っていた。(先を考えると不安になるから考えないようにしている。いましか考えないし、いつも「なんとなかなる!」と言い聞かせている。)
泣けた。
これは泣けた。
ゆうこりんは子どもふたりを育てている。
きっとゆうこりんは今後売れるよ!
あともうひとつ。
ロシアではソ連崩壊にともない人口流出などもあり、中国人労働者が増えているとのこと。野菜を売っている人のインタビューでは、(中国で売るより10倍くらいロシアの方が稼げる)とのこと。
そうなんだ。
労働はお金を稼ぐ手段なんだ。
ばらばらエッセイ。
最近ライフプランをつくった。
すると私の婚約者はいま27歳くらいのひとじゃないと子供を産めるのが8年以内!
わたしはもうそのときはあれだよ!
怖いねー
仕事選びとは繋がり方の選択
人はだれかとつながりたいとどこかで欲してしまう。
なにもしないことほど辛い事はない。
たしかにつながることは大変だし、いじめや心労ということもあるのでつながらない方がましだと思う事もある。
でも結局つながろうとしてしまう。
仕事を辞めて毎度同じ様に考えてしまうのも似ている。
仕事は大変だ。でも仕事がないのも大変だ。
結局比較の問題かもしれない。
つながり方もひとそれぞれだ。
能力、容姿、いろいろな資源を駆使してつながることができる。
人はその資源をどのように活用するのか考える事ができる。
どのようにつながるのか選択して、強めようとできる部分がある。
仕事選び、ということをしながら、
自分はどの部分でつながろうとしているのか、選ぶ事である気がしてきた。
死にたい
久しぶりに死にたいと絶望している。
なにもかもが揖屋に成っている。
嫌になっている。
消えたい。頭のなかで不安が絶えず襲ってくる。なにもしたくない。生きている限りなにもしないことはできない。無にはなれない。
行きたくないところでも不採用となると落ち込んでしまう。やることがない。なにもやりたくない。考えたくない。どうすればいい?
みんなのためには生きられない。
こころが楽になりたい。
罵詈雑言を放ちたい。明日が来ないで欲しい。希望が見えない。面接をしたくない。仕事はしたい。なにもしたくない。
人のはなしを聞きたくない。
心がなくなって欲しい。感情もなくなって欲しい。自信がない。自信が底をついた。
政治がなくなってほしい。俺はなにもしたくない。なにもいいたくない。なにもみたくない。はなしたくないし聞きたくもない。
できることならセックスをしまくってそのまま死んでしまいたい。寂しい。孤独。話すことができないから伝えられない。気持ちが身体に貯まりすぎている。抜きたい。
あとはもう繰り返しだからなくなってほしい。
無職と羊
朝目覚めると雨上がりなのか、見知らぬ羊が庭を駆け回っている。埃っぽい毛のまわりに透明の光が反射して明るい。これはいいことがあるかもしれない。
コーンフレークに牛乳をかけようと冷蔵庫を開ける。庭を見ると羊がこっちを見て動かない。まずい。餌を要求しているのか。牛乳はもうない。お金がないから公園にいってとりあえず草をもってくるか。ちょうどやることもないし、いい暇潰しになるな。
ちかくの公園にいってみると同じように草をとっている人が何人もいた。まずいぞ。ほとんど草が残ってない。まさか皆のところでも羊が来たのか?みんなも仕事をせず、ここにこうして草をとりにきているのか。話しかけて草を分けてもらおうかと思ったが、やっぱりやめて帰ることにした。
1つのことであたまが一杯になる男
「では前の会社を辞めた理由を教えて下さい。」
「はい。私は1つのことで頭が一杯になってしまうため、辞めようと思ったらそれで頭が一杯になってしまったためです。」
「どうして辞めようと思ったのですか。」
「辞めようと思った理由は些細なことで、それは直接的な理由ではありません。
仕事がうまくいかなかったり、嫌なひとが上司だったり、きりがないものです。
そうではなくて、1つのことで頭が一杯になると、それを減らす方法や違うことに目を向ける方法がわからないため、辞めることを遂行しないと何もできなくなるため、辞めてしまうのです。」
「なるほど。わかりました。
では頭が一杯になっても、それを軽減する方法や気を紛らすことができたらあなたは辞めないということですね。」
「その通りです。」